ボルドーワインと五大シャトーの魅力

ボルドーワインと五大シャトーの魅力
深いワインレッドカラーを指して「ボルドー」と称するほど、赤ワインの代表格であるフランスのボルドーワイン。今回はその格式と魅力に迫ります。

“ワインは農産物”と言われる理由

“ワインは農産物”と言われる理由

ボルドー地方のことに触れる前に、まずは「産地」がワインにおいてなぜ重要視されるのかに触れておきましょう。ワインは、「収穫したてのブドウをつぶし、酵母を加えて発酵させる」という、酒類の中でも非常にシンプルな製法を基本としています。そのため、ブドウの出来がワインのクオリティにダイレクトに影響するので、ワインの産地は、ほぼそのままブドウの産地と言えるのです。
産地を構成する要素は、気温・湿度、日照時間、降水量のほか、土壌、標高や傾斜など。さまざまな条件が、ブドウの生育に影響を与えます。また、ブドウの品種によって適した条件は異なります。

ボルドー地方のワインの特徴

“ボルドー地方のワインの特徴

では、ボルドー地方とはどのような産地で、どのようなワインが生まれるのでしょうか。
ボルドー地方は、フランスの南西部に位置し、ガロンヌ川、ドルドーニュ川、ジロンド川の3つの流域にまたがる、温暖な海洋性気候に抱かれた産地です。赤ワインを代表する産地として、世界的に知られています。
ボルドー地方の赤ワインは製造方法にも大きな特徴があり、それは数種類のブドウ品種をブレンド(現地の言葉でアッサンブラージュ)して造られるということ。おもにカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、カベルネ・フランという3品種を、造り手独自のバランスで混ぜ合わせて醸造されます。味わいは、力強くもエレガント。長期熟成が可能なワインも多く、何十年も前のオールドヴィンテージのワインは、非常に高価で珍重されています。

「五大シャトー」とは?

シャトーってなに?

ボルドーワインの名前には「シャトー」が付いていることが多いですが、これはChateauと書き“城”という意味のフランス語。自社畑を持ち、ブドウの栽培からワイン醸造までを一手に担う栽培家兼醸造家のことを、シャトーと呼んでいます。城という意味にふさわしく、ボルドー地方には広大な畑と醸造所を所有するシャトーが多いのが特徴です。広い敷地で複数のブドウ品種を栽培できることが、造り手それぞれのアッサンブラージュ技術の発展に結びついてきました。

メドック格付け1級の、5つのシャトー

ボルドーの赤ワインを代表する5つの造り手は、五大シャトーと呼ばれています。この等級を決めているのは、「メドック格付け」というボルドー地方メドック地区のシャトーを対象にした格付け。1級から5級まであり、最上位の1級に分類されるのが、わずか5つのシャトーというわけです。1855年のパリ万国博覧会の際に、ナポレオン三世の要請によりメドック地区のシャトーが格付けされ、現在では計61シャトーが対象となっています。この格付けは長い間改訂がされておらず、その伝統もあって、五大シャトーのワインには高値が付けられているのです。 メドック地区はボルドー地方の北側、ジロンド川の左岸に南北に伸びる地区。ボルドー地方にはこのほか、グラーヴ地区やソーテルヌ地区、サン・テミリオン地区など、メドック地区以外の銘醸地が複数あります。

五大シャトー紹介

ここからは、五大シャトーそれぞれについて解説していきましょう。
シャトー・ラフィット・ロートシルト

シャトー・ラフィット・ロートシルト

1855年にメドック格付けがなされた当時、最も取引価格が高かったシャトー。その昔、ヴェルサイユ宮殿で毎夜開催された晩餐会で振る舞われ、ルイ15世も嗜んだことから“王のワイン”とも呼ばれていたそうです。現在でも、五大シャトーの筆頭との呼び声が高く、特に長期熟成を経たものはボルドーの真髄とも言えるエレガンスを放ちます。
シャトー・マルゴー

シャトー・マルゴー

1855年の格付けでテイスティングが行われた際、唯一の満点評価を取得。イギリス初代首相ロバート・ウォルをはじめ、文豪ヘミングウェイはその名を娘に付けるほど寵愛するなど、各界の著名人を唸らせてきたシャトーです。かつての総支配人が、“ベルベットの手袋の中の鋼鉄の拳”と評した、気品がありながらも強さとしなやかさを備えた味わいが魅力です。
シャトー・ラトゥール

シャトー・ラトゥール

エチケットに描かれた“塔”がシンボルマーク。この塔は畑に実際に建てられており、15世紀頃、海賊の攻撃から身を守るため造られた要塞の跡地に、17世紀に建立されました。世界で最も凝縮感があるとも言われる力強い味わいが特徴で、豊かなタンニンを感じることができます。
シャトー・オー・ブリオン

シャトー・オー・ブリオン

メドック格付けで唯一例外的に、グラーヴ地区にありながら格付けに加えられたシャトー。ワインの製法に「澱引き」や「補酒」を導入した先駆者としても知られており、その香味は五大シャトーの中で最も香り高いとも賞されています。カベルネ・ソーヴィニヨンよりもメルロの比率が高くなるヴィンテージがあるなど、メドック地区のシャトーとは違った側面も見られます。
シャトー・ムートン・ロートシルト

シャトー・ムートン・ロートシルト

1855年には2級格付けだったものの、その後、1973年に1級に昇格。100年以上も変更されることのなかったメドック格付けの慣例を、4世代に渡る努力の末に打ち破った唯一の存在です。その味わいは、濃厚かつ豪勢。ダリやシャガール、ミロといった芸術家の作品を起用した、年ごとに替わるエチケットもコレクターを愉しませています。

その他の高級ボルドーワイン

五大シャトー以外にも、ボルドー地方には世界的に価値を認められたシャトーが多数存在します。五大シャトーの項で少し触れましたが、ボルドー地方では、中心部に流れるジロンド川を境に、産地が「右岸」と「左岸」に分けられているのが特徴。シャトー・ペトリュス、シャトー・シュヴァル・ブラン、シャトー・オーゾンヌを加えて、「8大シャトー」と呼ばれることもあります。
シャトー・ペトリュス

シャトー・ペトリュス

ボルドーワインの最高級品を生産。ドルト―ニュ川流域にある、ボルドーの右岸を代表するシャトーです。小規模な生産者であることと、ポムロール地区には格付けがなく、市場評価が値段に直結するため、五大シャトーよりも高値で取引されています。早飲みに仕上がる傾向のメルロー品種を主として用いながらも、数十年の超長期熟成ワインを仕立てる手腕に定評があります。
シャトー・ル・パン

シャトー・ル・パン

ポムロール地区で、シャトー・ペトリュスと肩を並べる存在。生産数が非常に少なく、状態の良いオールドヴィンテージは特に入手困難とされています。1982年が初ヴィンテージながら、1990年代にはすでにボルドーのスターワインとして名を轟かせており、その異例の出世スピードは“ポムロールの奇跡”と語り継がれています。メルローを主体とした、溢れ出るようにゴージャスな果実の旨みが特徴。
シャトー・オーゾンヌ

シャトー・オーゾンヌ

ボルドー右岸の主要地区である、サン・テミリオン地区の代表格。生産量が少なく稀少でありながら、ペトリュスに比べればかなり安価なため、世界中にファンを持つシャトーです。カベルネ・フランを主体とした、多層的な味わいが特徴。タンクではなくオークの小さな新樽によるマロラクティック発酵や、無濾過製法など、独自のこだわりが光ります。
シャトー・シュヴァル・ブラン

シャトー・シュヴァル・ブラン

シャトー・オーゾンヌと双璧をなし、サン・テミリオン地区のトップに君臨。カベルネ・フランを多く使用した、深いコクと力強さ、またポムロール地区に近いことから、ねっとりとリッチな酒質も併せ持っています。瓶詰め時点から、年を経るごとに変化を楽しめる幅広い飲み頃も特徴です。
シャトー・ディケム

シャトー・ディケム

「フランス貴腐ワインの最高峰」と賞賛されるシャトー。ボルドー左岸、ガロンヌ川の支流に位置するソーテルヌ地区で、ただひとつ最高位の格付けを得ています。貴腐菌が付着した白ブドウの完熟度合いを見ながら、毎年平均5~6回に分けてひと粒ずつ手作業で収穫を行うなど、多大な手間と時間をかけて生産されるため、高値で取引されています。とろけるように甘美な味わいで、熟成ポテンシャルも非常に高い傾向にあります。

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2024.11.08 update

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ウイスキーの歴史と高級ウイスキーの魅力 〜至高の一杯への旅路〜

ウイスキーの歴史と高級ウイスキーの魅力 〜至高の一杯への旅路〜

今回は、数世紀にわたる歴史の中で、蒸溜と熟成の技術を磨き上げ、豊かな風味と深い味わいで多くの人々に愛されてきました「ウイスキー」。 そのルーツを探りながら、スコットランドやアイルランド、そして、以前の記事でも紹介しきれなかった、ジャパニーズウイスキーに至るまで。今日のウイスキー愛好家たちが憧れる高級ウイスキーの魅力にも触れながら、シングルモルトやブレンデッドなどスタイルごとに感じることのできる豊かな体験について解説します。 特に人気の「山崎」や「マッカラン」がなぜ世界中で愛されているのか、その理由に迫ります。 ウイスキーの起源と歴史 スコッチとアイリッシュウイスキーの発展 スコッチウイスキー アイリッシュウイスキー 日本のウイスキー革命 高級ウイスキーの特徴と価値 人気の銘柄「山崎」や「マッカラン」の魅力 まとめ ウイスキーの起源と歴史 ウイスキーの歴史はとても古く、紀元前に「アクア・ヴィタエ」として宗教的な目的で使用されていたとされています。 主には中世ヨーロッパで、修道院などが背景にあります。具体的には、修道士たちが瞑想や祈りに集中する際、「助け」として使われていました。アルコールの効果でリラックス状態になり、精神を鎮めて神とのつながりを深めるために、少量の「アクア・ヴィタエ」が用いられることがあったとされています。 その後、アイルランドでは「アクア・ヴィタエ」が早い時期から蒸留されており、ケルズ修道院などで修道士たちが医薬用として蒸留酒を生産していたとされています。この蒸留酒が後に「ウシュクベー」と呼ばれ、現代のウイスキーの元祖となったと考えられています。やがてイギリス中で広く飲まれるようになります。 一方、スコットランドでは、ケルト系修道士たちが早期から蒸留技術を取り入れ、医薬品としての蒸留酒を生産していました。リンディスファーン修道院はその代表的な例であり、ここでの蒸留技術がスコッチウイスキーの誕生に大きな影響を与えたと伝えられています。 こうした修道院での蒸留技術が、ヨーロッパ各地に伝播し、一般の人々にも広がっていきました。特に先で紹介したスコットランドとアイルランドの修道院での技術が基礎となり、各地の農家や小規模な蒸留所でもウイスキーの生産が始まるようになりました。 アクア・ヴィタエ 「アクア・ヴィタエ (Aqua Vitae)」はラテン語で「命の水」を意味します。 蒸留酒は、薬草やハーブのエキスを抽出し、それを「エリクサー」として保存するために使われました。蒸留によって抽出された薬草のエキスは、風邪や胃の不調などの治療に使われ、癒しの力があるとされました。こうしたエリクサーは、命の水として信じられていたため、このことから「命の水」の名で呼ばれることになります。 この言葉はやがてスコットランドやアイルランドで派生語となり「ウスケ・ベハ」や「ウシュクベー」となり、それが変化して「ウイスキー」という言葉になったとされています。 スコッチとアイリッシュウイスキーの発展 スコットランドとアイルランドは、それぞれの文化と自然に応じた製法を発展させたことで、ウイスキーの異なる個性が確立され、両者は現代のウイスキー市場において、互いに異なる魅力を持つ重要な存在となっています。 スコッチウイスキーの発展 スコッチウイスキーの発展は、スコットランドの厳しい気候と豊かな自然が影響しています。スコットランド特有の泥炭(ピート)を燃料に使用することが多く、そのためスコッチウイスキーには独特のスモーキーで深い香りが感じられます。特にアイラ島やハイランド地方のウイスキーはピートの香りが強く、複雑な風味を持つのが特徴です。 スコットランドでは、ウイスキーの製造に長い熟成期間が必要とされ、最低3年間樽で熟成させることが義務付けられています。多くの蒸留所が長期熟成を重視し、シェリー樽やバーボン樽で熟成させることで、より深い味わいや複雑な香りを引き出しています。18世紀にスコットランドでウイスキー税が導入された際、多くの小規模蒸留所が密造を余儀なくされましたが、その際に、蒸留技術や熟成方法が進化し、現代のスコッチウイスキーの基盤が築かれました。また、グレンリベットやマッカランといった蒸留所が、品質の高さから国際的な評判を得てスコッチウイスキーの地位を確立する一因となりました。 アイリッシュウイスキーの発展 一方で、アイルランドのウイスキー、アイリッシュウイスキーは、滑らかで飲みやすい風味が特徴です。アイルランドでは通常、3回の蒸留が行われ、これがまろやかな口当たりを生み出しています。アイリッシュウイスキーの製造では、ピートを使わないことが多いため、スモーキーさがなく、フルーティーでソフトな味わいが際立っています。これはアイリッシュウイスキーが広く飲みやすいとされる理由の一つです。 アイルランドでもウイスキー税が課せられたことから、多くの蒸留所が規制の網を避けるために密造や違法蒸留を行いましたが、これにより蒸留技術が進化しました。特にジョン・ジェームズンが創設したジェームズン蒸溜所は、独自の製法と技術革新によって、アイリッシュウイスキーの品質を高め、国際市場で評価されるきっかけを作りました。アイリッシュウイスキーのソフトでスムーズな味わいは、アメリカやヨーロッパの市場で愛され、今日でも世界中で人気のあるスタイルとなっています。 日本のウイスキー革命 1923年、日本で初めての本格的なウイスキー蒸溜所が創業し、ウイスキー製造が本格化します。ジャパニーズウイスキーに関しては、「なぜジャパニーズウイスキーは世界から人気なのか?!」に詳しく書かせていただいておりますのでご覧ください! 今回は高級ウイスキーに着目したいと思います。戦後、日本のウイスキーは国際的な評価を獲得するようになり、1970年代から80年代にはアメリカやヨーロッパにも進出しました。 「山崎」や「響」などの銘柄は、精緻な味わいとバランスが取れた香りで国際的なウイスキー賞を受賞し、日本のウイスキーが世界市場で認められる礎となりました。 高級ウイスキーの特徴と価値 高級ウイスキーは、原料や製造過程、そして長期間の熟成によりその価値が高まります。例えば、シングルモルトウイスキーは一つの蒸溜所でのみ生産され、個性豊かな香りと味わいが特徴です。長期熟成されたウイスキーは、時間とともに木樽からの香りが複雑に絡み合い、深みと豊かさをもたらします。また、限られた生産量や歴史的な背景も、価値を高める要素のひとつです。 人気の銘柄「山崎」や「マッカラン」の魅力 世界中のウイスキー愛好家から高く評価されている銘柄には「山崎」や「マッカラン」があります。「山崎」は、日本独自の風土で生まれたウイスキーで、滑らかな口当たりと豊かなフルーティな香りが特徴です。一方で、「マッカラン」はスコッチウイスキーの代表的な銘柄で、シェリー樽で熟成されることで甘みと濃厚な風味が際立ちます。どちらの銘柄も、その高品質な製造過程と熟成へのこだわりから、高級ウイスキーとしての地位を確立しています。 まとめ ウイスキーは、長い歴史の中で様々な土地と文化の影響を受けて進化してきた「命の水」です。 スコットランドやアイルランドで始まり、日本や他の国々にも広がる中で、それぞれの特徴が生まれ、異なる風味や香りが織り成されてきました。そして、今日、山崎やマッカランといった高級ウイスキーが世界中で高く評価される理由には、長期熟成と丁寧な製造工程、地域ごとの独自のスタイルが関わっています。 これらのウイスキーはただの飲み物以上のものであり、歴史と文化、職人の技が凝縮された一杯にほかなりません。 ウイスキーを楽しむとき、その歴史や背景に思いを馳せることで、味わいがさらに深まるでしょう。ぜひ、皆さまの至極の一杯をお聞かせください!
畑と生産者ごとの個性際立つ、ブルゴーニュ地方のワイン

畑と生産者ごとの個性際立つ、ブルゴーニュ地方のワイン

フランスの中東部に約300kmにわたって延びる、ブルゴーニュ地方。ボルドー地方と並ぶ、フランスワインの銘醸地として知られています。 大規模な生産者が多いボルドーとは逆に、畑が細分化された産地の特徴と、主要な生産者を紹介しつつその魅力に迫ります。 小規模かつ、単一品種で造られる 世界に名を馳せる、主要な生産者の代表銘柄 DRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)「ロマネ・コンティ」 アルマン・ルソー「ジュヴレ・シャンベルタン」 アンリ・ジャイエ「リシュブール グラン・クリュ」 リジェ・ベレール「ラ・ロマネ」 コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ「ミュジニー」 メゾン・ルロワ そのほかの生産者 「シャブリ」や「ボージョレ」も 小規模かつ、単一品種で造られる 冒頭で述べた通り、ブルゴーニュ地方の畑は非常に細分化されており、さらにひとつの畑を複数の生産者が所有している場合もあります。そのため、造り手ごとの生産量はどうしても少なくなり、特に格付けが高いワインは高値で取引されます。 加えてブルゴーニュ地方では、「ピノ・ノワール」を用いた赤ワインと、「シャルドネ」の白ワインが、いずれも単一品種で造られるのがメジャーです。つまりブドウの個性が、ワインの味わいにダイレクトに影響します。「ワインは農産物」「隣どうしの畑でもワインの出来が違う」という、ワイン独自の特色が、色濃く反映されているのがブルゴーニュワインと言えるのです。 世界に名を馳せる、主要な生産者の代表銘柄 畑と造り手の個性が強いということは、ブルゴーニュ地方全体や、地区でひと括りにして語るのが難しい、ということ。ここではまず、世界的に高値で取引される、主要な生産者の代表銘柄を見ていきましょう。 DRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ) 「ロマネ・コンティ」 ブルゴーニュ地方中東部のコート・ド・ニュイ地区にある、ヴォーヌ・ロマネ村を代表する生産者。特級畑から獲れたピノ・ノワール100%で造られる「ロマネ・コンティ」は、世界最高級の赤ワインのひとつです。平均価格100万円前後と非常に高価で、当たり年のボトルには億単位の値が付けられることもあります。単独所有するわずか1.8ヘクタールの畑から獲れるピノ・ノワールのみを使用するため、生産量は年間5000~6000本。包み込むようなエレガントな香味が、唯一無二のものとして世界的に評価されています。 アルマン・ルソー 「ジュヴレ・シャンベルタン」 “ブルゴーニュの頂点”とも賞される、コート・ド・ニュイ地区最大のジュヴレ・シャンベルタン村を拠点とする家族経営の大生産者。所有する畑の半分以上が特級畑に認定されており、その土壌本来の力を活かすため、肥料を使わず、農薬もボルドー液や硫黄など古典的なものに限るなど、伝統的な農法にこだわっています。「ジュヴレ・シャンベルタン」は、ナポレオンも愛したとされる銘酒。完熟手前のほどよい熟度で収穫されたピノ・ノワールの、ピュアでみずみずしい香味と、上品で深いコクを併せ持っています。 アンリ・ジャイエ 「リシュブール グラン・クリュ」 コート・ド・ニュイ地区のヴォ―ヌ・ロマネ村の生産者で、“ブルゴーニュの神様”とも賞される伝説的な存在。2001年ヴィンテージを最後に生産が停止し、アンリ・ジャイエ氏自身が2006年に逝去されたため、彼が造った銘柄は市中在庫が減り続けています。1本800万円の値が付けられることもあり、贋作が多く出回っているのも実状です。ワイン造りにおいては、農薬や化学肥料を最低限まで減らす農法「リュット・レゾネ」や「低温浸漬(コールドマセレーション)」、余分なタンニンの流入を防ぐ「100%除梗」など、画期的なスタイルを多数採用。代表銘柄「リシュブール グラン・クリュ」は、特級畑のピノ・ノワールの芳醇な果実味・タンニンと、スパイス感もある魅惑的な味わいです。 リジェ・ベレール 「ラ・ロマネ」 DRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)と肩を並べる、コート・ド・ニュイ地区のヴォ―ヌ・ロマネ村で1815年に創業した名門。7代目のルイ・ミッシェル・リジェ・ベレール氏は、ブルゴーニュの神様と言われたアンリ・ジャイエ氏などに師事し、2000年に初ヴィンテージを発表しました。2002年にはフラッグシップの「ラ・ロマネ」をリリース。馬を利用した耕作など、自然の力で畑とブドウの生命力を高める「ビオディナミ農法」への真摯な取り組みが光ります。ピノ・ノワールの芳醇さと、樽のニュアンスが美しく調和した味わい。 コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ 「ミュジニー」 コート・ド・ニュイ地区のシャンポール・ミュジニー村の主要な生産者。特級畑ミュジニーのうち、70%を所有しています。“エレガンス”を最大限に引き出すことがモットーで、樽の香りが移りやすい新樽の使用比率を抑え、ブドウ本来の味わいを活かしています。また、代表銘柄「ミュジニ―」は、ブドウの樹の“樹齢”にもこだわり、樹齢25年以上の古樹から獲れたピノ・ノワールのみを使用。特級畑の圧倒的なミネラル感と、果実の凝縮感が魅力です。 メゾン・ルロワ シャルドネ種による白ワインの銘醸地である、オーセイ・デュレス村で1868年に創業。自社畑を持たず、他社からブドウを買い付けてワイン造りを行う「ネゴシアン」として活躍しています。特に現オーナーのラルー・ビーズ・ルロワ氏(マダム・ルロワ)は、ブルゴーニュ地方随一のテイスティング能力を持つと言われ、ブドウではなくワインの状態で買い付けるのが特徴です。それらを自社のセラーで熟成し、マダムの審美眼で飲み頃と判断されたものがリリースされています。ピノ・ノワールの赤、シャルドネの白が多彩にラインナップされているほか、自社でブドウの栽培から手がける「ドメーヌ・ルロワ」は、特に希少性が高い逸品。 そのほかの生産者 ピノ・ノワールの赤だけでなく、シャルドネを用いた白ワインにも注目したいところ。上記以外の著名な生産者を抜粋し、ひと言コメントとともにまとめました。 <ルフレーヴ> ピュリニー・モンラッシェ村発の、世界最高級の白ワイン。 <エティエンヌ・ソゼ> ピュリニー・モンラッシェ村最良の造り手。 <エマニュエル・ルジュ> “ブルゴーニュの神様”アンリ・ジャイエ氏の後継者。 <フーリエ> ジュヴレ・シャンベルタン村を本拠地に、一世紀以上続く古豪。 <ジョルジュ・ルーミエ> シャンボール・ミュジニー村のエレガンスを体現。 <ジャック・フレデリック・ミュニエ> 繊細かつ華やかな、シャンボール・ミュジニー村の名手。 <フィリップ・パカレ> “自然派”ムーブメントの立役者。 <プリューレ・ロック> 厳しいビオディナミ農法と全房発酵を実践。 「シャブリ」や「ボージョレ」も シャルドネによるすっきりとした辛口に定評のある「シャブリ」は、ブルゴーニュ地方最北端の地区で造られる白ワイン。また、ガメイの単一品種で造られる赤ワインで、特に毎年リリースされる新酒「ボージョレ・ヌーボー」で知られる「ボージョレ」地区は、ブルゴーニュ最南端に位置しています。 ひとつの造り手が、特徴の異なる複数の畑を所有している場合も多く、産地の全体像をつかみにくいブルゴーニュ地方のワイン。しかしそのぶん造り手ごとの個性が多彩なので、バックストーリーも含め、まずは好きな造り手を見つけてみるのもよいかもしれません。
なぜジャパニーズウイスキーは世界から人気なのか?!

なぜジャパニーズウイスキーは世界から人気なのか?!

今回は、近年高騰化を続ける「ジャパニーズウイスキー」 キーパーソンになった二人の日本人に焦点を当てながら、その歴史についてお届けさせていただきます! ウイスキー製造は大阪発?! ジャパニーズウイスキーの夜明け 竹鶴政孝(1894-1979) 鳥井信治郎(1879-1962) ニッカウヰスキーの誕生と発展 ウイスキーブームと低迷 近年の世界的評価 まとめ ウイスキー製造は大阪発?! 日本でのウイスキーの歴史は、19世紀後半まで遡ります。当時、明治維新を機に西洋化を進める日本は、これに伴って西洋の文化や技術も多く日本に入ってくることになります。ウイスキーもその一環として輸入されるようになり、日本人の間でも少しずつ認知されるようになりました 日本での最初のウイスキー製造は1870年頃、大阪の商人が行ったとされています。当時の技術ではスコッチウイスキーのような本格的なものは生産できず、現在のように高い品質ではなかったといわれています。この時期のウイスキーは、まだ大衆向けではなく、外国人や富裕層向けのものでした。 ジャパニーズウイスキーの夜明け ジャパニーズウイスキーの本格的な歴史の夜明けは、1920年代です。そこで、特に重要な人物として挙げられるのが、竹鶴政孝と鳥井信治郎の2人です。 竹鶴政孝は、ウイスキー製造を学ぶために1920年にスコットランドへ留学しました。彼はスコットランドの伝統的なウイスキー造りを学び、日本に戻ると、その知識を活かしてジャパニーズウイスキーの基盤を築きました。 一方、鳥井信治郎はサントリー(当時は「寿屋」)の創業者であり、竹鶴の知識を活用し、日本で初の本格的なウイスキー製造を開始します 1923年、寿屋に10年間の約束で入社した竹鶴さんは、この頃にはすでにウイスキー作りの理想の地は北海道であると考えていて、鳥井にもその考えを伝えましたが、鳥井はウイスキー発祥である大阪に近いところに蒸留所をつくると決めており、蒸留所は大阪の山崎に決まりました。 竹鶴はその技術面で重要な役割を果たし、1929年に日本初のシングルモルトウイスキー「サントリー白札」が発売されました。この時期のウイスキーはまだ日本人の口に合わないとされましたが、徐々に改良が進み、次第に人気を集めました。 竹鶴政孝(1894-1979) ジャパニーズウイスキーの父と称される人物です。広島県に生まれた彼は、1918年にスコットランドに渡り、現地でウイスキー製造を学びました。その際、学んだウイスキー製造工程のすべてをメモに残し、さらに自らの意見を添えて書き記したものが『実習報告』と題された「竹鶴ノート」として記録されました。 内容は誰もが驚くほど詳細で、後に日本におけるウイスキー造りの基礎を築く重要な要素となります。 帰国後、竹鶴は寿屋(現サントリー)に加わり、1923年に設立された山崎蒸留所で日本初の本格的ウイスキー製造を主導しました。「ウイスキーづくりは設備ではなく、人の心だ」と提言するほどの情熱や理想と、サントリーの方針との違いから、1934年に独立し、ニッカウヰスキーを設立しました。北海道余市でスコットランドの製法に基づいたウイスキー造りを開始し、ニッカブランドは後に国内外で高い評価を得ます。 竹鶴の生涯は、スコッチウイスキーの伝統と日本独自の文化を融合させ、世界に認められるジャパニーズウイスキーを生み出す礎となりました。 鳥井信治郎(1879-1962) 日本のウイスキー産業の創始者であり、サントリー(元は寿屋)を設立した実業家です。彼は、輸入に頼るアルコール飲料市場を見直し、国内生産を目指しました。ワイン製造からキャリアをスタートさせた鳥井は、日本人の口に合う洋酒を提供しようと試行錯誤を重ねました。 1923年、京都の山崎に日本初の本格的なウイスキー蒸留所を建設し、1929年には、寿屋の社長として竹鶴氏を招き入れ、ウイスキー造りに専念させました。そして「サントリー白札(現:サントリーウイスキー白州)」を発売。初期の製品は日本の市場であまり受け入れられなかったものの、彼は諦めず、日本人の味覚に合うウイスキーの開発を続けました。 鳥井の企業理念「やってみなはれ精神」は、挑戦を恐れない革新的な姿勢を表しており、彼のウイスキー事業はやがて日本国内外で高い評価を得ました。今日、サントリーは世界的な飲料メーカーとなり、彼のビジョンは大成功を収めました。 ニッカウヰスキーの誕生と発展 竹鶴政孝は、その後サントリーを離れ、自身のウイスキー会社「ニッカウヰスキー」を1934年に設立しました。 彼は、スコットランドの気候に似た環境で、ウイスキー作りの理想の地は北海道であると考え北海道の余市を製造拠点にウイスキー製造を開始しました。ニッカウヰスキーはスコッチスタイルを重視し、よりピート香が強いウイスキーを生産しました。 これにより、サントリーとニッカという日本のウイスキー業界の2大巨頭が誕生することとなります。 ウイスキーブームと低迷 第二次世界大戦後、日本は復興を進める中で、ウイスキーが大衆に浸透していきました。戦後の経済成長とともに、日本国内でウイスキーの消費が増加し、特に1960年代から1970年代にかけては、日本酒やビールに次ぐ人気のアルコール飲料となりました。 さらに、1980年代に入ると、ジャパニーズウイスキーは国内外で高い評価を受けるようになります。 特にサントリーの「山崎」や「響」、ニッカの「竹鶴」などが国内外の賞を受賞し、その品質が広く認められるようになりました。 しかし、1990年代に入ると日本国内でのウイスキー消費が減少し、ジャパニーズウイスキー業界は一時的な低迷期を迎えます。この原因は、日本人の飲酒スタイルが変化し、ビールや焼酎が主流になったこと、またウイスキーが高級品としてのイメージが強まりすぎたことにあります。 近年の世界的評価 2000年代に入ると、ジャパニーズウイスキーは再び注目を集めるようになります。特に、2003年にサントリーの「響」がイギリスのウイスキーコンペティションで最高賞を受賞したことや、2010年代にニッカウヰスキーの製品が国際的なコンテストで多数の賞を受賞したことが大きな転機となりました。 ジャパニーズウイスキーの特徴は、その滑らかでバランスの取れた味わいにあります。スコットランドの伝統を尊重しながらも、日本ならではの繊細な製法や素材を活かし、独自のスタイルを確立しました。 これにより、世界中でジャパニーズウイスキーの需要が急増し、特にプレミアムウイスキーとして高い評価を受けるようになりました。 近年では、海外市場でも高い人気を誇り、希少価値の高いヴィンテージウイスキーは高額で取引されています。 まとめ ジャパニーズウイスキーは、竹鶴政孝と鳥井信治郎という2人の先駆者によってその基盤が築かれ、近年では国際的な評価が高まり、世界中のファンから愛されています。 まだ、短い歴史のジャパニーズウイスキーは独自の品質と伝統を持ち続け、今後も発展し続けることに期待しましょう。

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    ドンペリ、モエ、クリュッグ、ルイ・ロデレール、記念ボトルや希少シャンパンなど

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    プレミア価格のついた十四代や黒竜、而今など種類銘柄問わず、地域の地酒も

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